異端児
「異端」という言葉が頭の中を巡っている。
自分を特別視したいとするエゴは、まだ何処かに潜んでいるような気がする。
それは誰しも、かも知れないけれど。
異端でありたい。 自由でありたい。
この痛々しいエゴも、「好き」をベースにすると、
すっかり大人の顔へと変化する。
異端が、好きだ。自由が、好きだ。
*
「そこにしかない、変なものを見たい」
恋人はそう言った。私の心は大きく頷く。
その、価値観というか、人生観というか、
大切にしたい「モノの見方」を、
絶対に忘れない、と誓った昨日。
9月22日。
雨の中、某音楽事務所へと足を運んだ。
10月から、作詞家として契約を結ぶ為に。
今、この日記を書いている真横で、
新しい名刺が音を立てて刷られている。
名前の横には、「作詞家」ではなく、「作詞」とだけ入れた。
肩書きなんていらない。そうやって生きていたいから。
(だったら、名刺すらいらないじゃないか!)
という心の声と、ちょっぴり格闘しているけれど(笑)
ニーズに合わせた商品大量生産の世の中。
「経済中心」の世界に飛び込んで行く覚悟。
大袈裟だけれど、その中にいながら、
そのニーズにプロとして応えながらも、
異端が好き。自由が好き。そして、表現が好き。の精神で、書きたい。
おそろしく甘い! なんて人に笑われても、
最終的に、染まらない事が「唯一」に繋がる。
唯一には感動がある。
それを教えてくれたのは、 彼だ。
*
「夏は変わってるなあ」と、恋人が笑う。
そんな事ないよ!とふくれっつらをしながらも、
私はなんだか嬉しくなる。
「そこにしかない、変なもの」
彼にとっての異端児であることが、
私の誇りでもあるから。
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