「シテキナルモノ」
「詩」ってなあに?と問われたら、なんと答えようか。
そう思って、書き出した今日。
詩って、何だろう。
「難解な活字の集まり」?
「とめどなく溢れる愛の言葉」?
違う。
詩ってなあに?と問われたら、私は、
「ありえないのに、本能をわしづかみにするもの」と答えたい。
これに当てはまるものは、すべてが「詩」。
だから、詩は必ずしも言葉とは限らない。概念だ。
その概念は、
例えばピカソの絵だったり、
カフカの小説だったり、
サティのメロディだったり、
様々なもので表現されてきた。
絵画だろうと文章だろうと音楽だろうと、
「ありえないのに本能をわしづかみにする力」を持っていれば、
そこには必ず「詩」があって、かれらこそ詩人だと思う。
「詩を書こう」としている人だけが、詩人じゃない。
そしてもちろん、自分で表現出来なくても、
私達は簡単に詩を感じる事が出来るし、楽しむ事も出来る。
何も巨匠の作品でなくたって、
その辺に転がった石ころの模様が一瞬顔に見えても「詩」だし、
見上げたマンションの部屋の灯りがひとつだけ赤だったらそれも「詩」かも知れない。
トワイライトゾーンに引き込まれるのはそこに「詩」の魅力があるからだ。
テレビで「世にも奇妙な物語」がヒットしたのもそう。
「詩」は難解な言語である必要は無いし、
情に満ちた切なさの台詞でもない。
それは「本能」に触れる感覚。
無意識への道筋。
言葉に「詩」の力を与える事って、本当に難しい。
一生に一度でも書けたらそれだけでもたいしたものだと思う。
その上私は、「詩」の魅力を、歌にしたいと思っているのだから果てしない。
詩と違って、歌はあまりにも感情的で切なくて、
日本人は特にそうだけれど、「共感」に価値を見出す。
歌の魅力はいつも心地良さや懐かしさにあるから、
人は感じやすいし受け入れやすいのだけれど、
その代わり、刻まれにくいし流されやすい。
もし、たった一雫でも「詩」の力を歌に落とせたなら。
それは多分、唯一の「歌」になる。
何年かかるか分からないけれど、
そんな歌を残したい。
詩人だとか作詞家だとか、名乗るのは簡単だけど、何だっていいんだ。
今一番の夢は、唯一の歌を創ること。
小さな私には、少しずつしか進めないけれど……。
様々な方から力を借りて、いつか、きっと。
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