グールドとグルダ
先日、甲府で開催された音楽療法学会主催
「星と音楽とわたしと」に参加して参りました。
以前より著書を読んで感銘を受けていた、
宇宙物理学者の佐治晴夫先生がシンポジストとして講演される事を知り、
思い切って電車に飛び乗ったのです。
佐治先生と言えば、NASAが打ち上げた宇宙探査機「ボイジャー」に、
バッハのプレリュードの搭載を提案された事でも有名です。
グールドの奏でるバッハ。
クラシックに疎い私でも、その澄んだ音色、美しさに潜む冷たさに、ハッとしたものでした。
グールドは、私にとって、水、氷、のイメージ。
結晶になる前の一雫が、床を叩く音、のような。
極力体温を除いたからこそ、生まれた音色なんだろうと思います。
そしてその美しさは、美術家の憧れではないかと。
美しさの裏側の狂気。グールドは「聴衆は邪魔だ」と言い、内側で響かせました。
もうひとり、好きなピアニストがいます。
私の詩の師匠に教えて戴いた、偉大なピアニスト、グルダ。
グルダのおじさま(勝手にそう呼びたくなります)は、
グールドとは違っていて、音楽を彩り、外側へと向かいました。
オーケストラを指揮して喝采も浴びました。
まさに、光。光が栄えて、とても温かく、眩しい。
なぜ私が今こんな事を書いているのかというと、
先ほどポストに、新しく購入した佐治先生の本と、
佐治先生からのお礼のお葉書が、一緒に入っていたからです。
温かくて、温かくて、涙が出ました。
偉大な学者の方々が大勢いらっしゃいます。
私がなぜ佐治先生に惹かれるかというのは、温かいからです。
人は、特に表現をする人間は、グールドのように、
時には冷たさと苦悩を知らなければと思います。
それは必要なもので、内側には必ず持っていなくちゃいけない。
でも、向かうべきなのは、やっぱり光。
温かい光でありたいと気付いたからです。
冷たさを飲み込み、温かさへ向かう。
もちろん喝采のような眩しい光である必要もありません。
それは、日溜まりのような温かさで充分。
佐治先生にはそれを教えて戴きました。
温かさへ向かう言葉を。
今一度実感して、溜息をついた一日でした。